PR EIGHT-JAM(関ジャム)

EIGHT-JAM 2026年4月12日 Hi-STANDARD特集 前編(MAH〈SiM〉、綾小路 翔〈氣志團〉、鹿野淳)

Hi-STANDARD特集!!ハイスタ!!

大好きな音楽番組
EIGHT-JAM (旧 関ジャム 完全燃SHOW)(日曜日 よる11:15~、たまに11:30~)のまとめ記事です。

EIGHT-JAM」は、プロミュージシャンの方々が、

音楽理論、音楽の奥深さなどを楽しめて学べるので、とても大好きな番組です。

こちらでは、メモ程度に残させていただいております。

気軽に楽しんでいただけれたら嬉しいです。

Hi-STANDARD特集_アーティストゲスト

アーティストゲスト

・MAH(SiM)
綾小路 翔(氣志團)
鹿野淳

✅MAH(SiM)
レゲエパンクバンドSiMのボーカル
2022年、米ビルボード・ホットハードロックソングチャート1位を獲得。
大型野外フェス「DEAD POP FESTiVAL」を主催している。

✅MAHさんコメント
僕も今海外で結構ライブすることあるんですけど、
あの時代にあの音楽性で日本でしっかりとして、
それが海外にも通用するのを証明してくれたっていうのは、
同世代のバンドマンにもすごい勇気を与えたと思うし、
その耕してくれたのがなかったら
今の僕らみたいなバンドも絶対ないので
ものすごい影響力だったと思います

綾小路 翔(氣志團)さんコメント
僕はですね、
本当1番何のこっちゃっていうことの影響みたいな(笑)

遡ること1994年12月24日です。
ロンドンナイトというイベントがありまして、
何バンドが出演し、その時に初めて見たんです。

当時そのロンドンナイトっていうタイトルもあって、
いろんな音楽が流れるんですけど、
僕らも元々UKのパンクが好きで、髪の毛立てて、
革ジャン着てとか、そういう人ばっかりいたんですね。
その会場も。

その中に、それこそ短パンにTシャツで、ロン毛で、
衣装みたいなものは全くまとわずに、
ただそのまんまステージに上がった3人組が


もう今まで見たことも聴いたこともない音楽を。
本当に、それこそね、1番シンプルなスリーピースで
こんな凄いとやるのか
と…

で、ぴあで調べまくったら、
千葉LOOK(ライブハウス)に来るというんで、
僕らの木更津から45分ぐらいかかる千葉まで行って、
チケット並んで、
Hi-STANDARD初めての千葉上陸のライブを
最前で見た高校2年生、
それが今日唯一の皆さんにとってのマウントです(笑)

LONDON NITE
1980年にスタートした日本初のロックDJイベント
現在も東京を拠点に日本各地で継続中。

Hi-STANDARD特集_アーティスコメント

10-FEET TAKUMAさんコメント
当時、メタルやハードロックが好きだった僕は、
”英語”で歌う日本のバンドで、なかなか欧米のバンドと
同等に扱ってもらえないなぁ。
なんか海外からはあんまり相手にされてないなぁ

思っていた頃。

Hi-STANDARDは、アメリカのバンクロック界の
聖地ともいうべきレーベルから、突然アルバムを
リリースするんです


あれはマジでびっくりしました。
”日本のパンクロックが認められた!!”
拳を握りしめて奮えたのが忘れられません

マキシマムザホルモン ダイスケはんさんコメント
ハイスタ登場以降、
国内にスリーピースのバンドが増えたといっても
過言ではないと思います。

さらに音楽史だけじゃなく、
スケボーやファッション関連誌などにも登場し、
音楽のみならずストリートカルチャーにも
多大な影響を与えていました。

✅1999年7月12日付 オリコン週間アルバムランキング

マキシマムザホルモン ダイスケはんさんコメント
あの時代に、
テレビでパフォーマンスすることはない中で、
とてつもないセールスをたたき出してチャートを席巻する

これはとんでもないことだし、
ファンである僕もそれを誇らしく感じていました

Hi-STANDARD特集_ヒストリー

✅1991年 結成

✅1996年 
・「GROWING UP」全世界リリース
・アメリカ・カナダツアー開催

✅1997年
・「ANGRY FIST」オリコン4位
・AIR JAM’97開催

✅1998年
・AIR JAM’98開催

✅1999年
・「MAKING THE ROAD」オリコン3位
・インディーズレーベルとして独立

✅2000年
・「LOVE IS A BATTLEFIELD」オリコン3位
・AIR JAM 2000開催
・AIR JAM 2000を最後に活動休止

✅2011年
東日本大震災を機に再始動

✅2016年
16年半ぶりに新曲をリリース

✅2023年
恒岡章 逝去

✅2025年
9月24日、ZAX(Dr.加入

Hi-STANDARD特集_インタビュー

3人にインタビュー

(スタッフさん)
地上波のこうテレビ番組で、
ハイスタンダードがこうやって並んで
インタビューを受けられるって、
ちょっとあんまり見たことがないかなと
思ったんですけれども…


(難波章浩さん)
初めてかもね
健くんと2人のはあったけど。
3人はないかもしれない…

(横山健さん)
3人ないですよね

(ZAXさん)
俺も見るの初めて(笑)

EIGHT-JAMに出演のきっかけは?

✅横山健さんコメント
出たかった

ご縁があってっていうのが大きいと思うんですけど、
90年代からHi-STANDARDってメディア嫌いっていうのが
すごくイメージとしてあったと思うんですね。

で、確かに90年代はそうだったんです。
いろんなわかってほしい気持ちが強かったんで、

例えばマスメディアとかで出て誤解を受けたりとか、
イメージが膨らんでいってしまったりとかするのは
嫌だった
んですね。

で、今でもそういう気持ちもちろんありますけど、
やっぱ人間って変わるもんで、
もっと積極的に出て、誤解されたりするのもしょうがないよね、
でも出ていきたいねっていう風に、
多分僕もナンちゃんも変わってったんだと思う

(難波章浩さん)
そうですね。
自分たちでも振り返るいいきっかけにもなるのかなと

それをみんなに伝えるチャンスってあんまなかなかないんで。
それをよくね、ハイスタに影響を受けてバンド始めましたみたいな、
すごい嬉しい声をたくさん聞くんですけど、

我々はこう、何やってきたかって、
改めて今日、自分らも振り返りつつ、
なんか説明できたらいいのかな
なんて思って、
今日いいタイミングだなと思ったんですよね。

Hi-STANDARD特集_Hi-STANDARDの皆さんへ質問

レコード会社を自分たちでやろうとなった経緯は?その1

✅横山健さん
90年代にまず僕たちファーストアルバム
あるインディレーベルがお金出してくれて
作ろうとしたんですね。

で、レコーディングまでは済んだんですけど、
お金がなくてプレスできないと、流通に乗せられないと…

で、「お金ができるまで待ってくれ」って言われて、
半年ぐらい待っちゃったんですよ。

で、そうこうしてるうちに、
レコ発ライブ(CD発売記念ライブ)とか、
勝手に自分たちで組んで、
モノがないレコ発を2回ぐらいやったりしてました。

その辺の連携の取り方とか全然わからなくて。
で、「出せない」っていうんで探し回った末に、
ある会社がお金出してくれて、
そこ経由でインディーズ流通に乗せることができた
んです。

それで、名前つけなきゃいけないねっていうので
始まったのが「PIZZA OF DEATH RECORDS」です。

そういう経緯がありまして、インディーズとは言っても、
元々はよその会社の中にあった名前だけのレーベルだった
んですね。

海外のバンドとかと触れ合ってるうちに、
彼らは本当に、
いわゆる「大人たち」って言葉あるじゃないですか。

大人たちの力借りずに、
本当に自分たちのお金と自分たちの友達だけでやってる


そういうのを目の当たりにして、
これ日本でも出来るんじゃないかなとか、
ナンちゃんとか、そういうのすごく見て憧れて、

で、本当に自分たちでやってみよう!!つって、
99年に独立しましたね。

憧れだったアメリカのNOFXとどのように知り合った?

✅鹿野淳さんコメント
NOFXってのはカリフォルニアのパンクロックバンドで、
メロディックパンクっていうメロディー、
みんなが歌えるメロディーをパンクロックに乗せる
っていうのの先駆者的なバンドです

✅難波章浩さんコメント
アメリカに行ってみたい、海外に行ってみたいっていう、
なんかだんだんこう、活動していく上で始まってくるんですよ。

で、そこでやっぱりNOFXの活動っていうのは、
本当憧れだった
んですよね。

そこに、我々も行ってみたい。
で、「NOFXが来日する!よし、会いに行こう!」と
健くんと言って、。
さっき話に出た、まだリースされないCDだけで、
レコ発だけやったCD、それを持って。

リリースされた後、CD持ってって聞いてもらって、
するとNOFXから、
「日本ツアーやるから1本やってみろ」
って言われて、

急遽、北海道に行ったんですよ。
必死だったんで、
どんなライブだか全然覚えてないんですけど、

1個だけ覚えてんのはね、
僕らチューニングメーターを使ってなかったんですよ。
今は当たり前に使うんですけど、
チューニング、音合わせるっていう機械。

それを僕とケンくんは使わないで、
そのAっていう音を最初にポーンって出して、
で、自分でポンポンポンって合わせて、
曲をポンってやるんですよ。

それはそれで、かっこよかったのかもしんないんですけど、
多分めちゃくちゃ音が合ってなかった

マイク(NOFXのVo.B)に
「お前らライブいいけど、なんか音合ってないし、
もう勢いだけで…もうチューニングメーター使え」
って…

✅横山健さんコメント
”彼らの仲間になってみたい”っていう思いは
すごくありましたね


新宿で練習して、練習終わった後、
道端で缶コーヒー片手にミーティングをするんですよ。
今みたいにね、スタバなんてないですから。

本当に缶コーヒー片手に道端に座り込んで、雑踏で…
でも大事な話し合いをするんですよ。

当時は時間潰しちゃったのかもしんないけど、
そういうのがすごく大事で。

「ここでこうしながらさ、
世界出てきちゃったらすごいよね」なんて
夢物語で20歳そこそこの若者3人が話してて


で、それを実行したっていうだけなんですよ。

いや、本当にやってみたらいいんじゃないかと。
で、そのトライの一環が、
憧れてたファット・レック(レーベル)に
「CDを出してくれ」ってアタックすることだったんですね。

レコード会社を自分たちでやろうとなった経緯は?その2

✅ナレーション
アメリカの人気バンドの来日公演や海外ツアーなどで
共演を重ねていったことで、逆輸入的に国内の人気も高まり、
メジャーレーベルからリリースしたアルバム
「ANGRY FIST」は50万枚を売り上げ、オリコン4位を獲得

✅難波章浩さんコメント
NOFXと一緒にヨーロッパ、アメリカツアー回ったり
することができたりしている中で、
みんな結構やっぱり自分らでやってるんですよ

ハイスタもお前らやれるよ!!」って言われて。

で、ケンくんに
やれる!って言ってるけど、やる?」て聞いて、
やってみる!!」って。
で「日本帰ったらやってみよっか」と…

✅横山健さんコメント
最初「僕はできない」と思ったんですよ。

もうすでに
ちょっとハイスタンダードはでかくなりかけてたんで、
イメージはできるけど、それ実際にやるのは
難しいって思ったんです。

でも、やってみたらできました(笑)

(難波章浩さん)
インディーズってやっぱ名前のこことね、
名前からIndipendent(インディペンデント)、
「独立する」
っていう意味。

確かに本当にいろんなとこから関係を改めて構築して、
自分たちだけでやるっていう、その運営していくっていう、
リリースすることやマネジメントする
こととか、

そういうのをやってる先輩いたんですけど、
でも、そこまで、自分たちの参考になるような人たちが
日本にはあんまりいなく
て、

でも、アメリカのやっぱりNOFXが、Fat Wreck Chords
すごくこの感じならやってみたい
できるかもしれないっていうことで、ケン君とよく話して…

✅横山健さんコメント
ちょっとごめんなさい、話それちゃいますけど、
メジャーとインディーズって、
何なのかって、皆さんわかんないですよね


本来はメジャーっていうのは、
日本レコード協会っていうのがありまして、
そこに加盟してるレコード会社から出すことをメジャー
それ以外のものは全部インディーズと呼ばれるてるんですけれども、

だいぶこう意味が曖昧になっちゃって、
でかいところ=メジャーで、
アングラ的なものはみんなインディーズ
でと…
それはそれでいいと思うんですよ。

なんだけど、
本当の意味でのインディーズっていうのは、
大きい会社とか、元々やってた会社からの出資を受けずに、
金銭的な援助とかを受けずに、
自分たちで、本当に1から会社を登記していく

それがインディーズだと思うんですね。
で、そういった意味で、
ナンちゃんが参考にできる人たちがいなかったっていうのは、
みんなね、小さかったんですよ。

当時インディーズの先輩方っていっぱいいたんですけど、
規模がやっぱりすごくちっちゃかった。

インディーズのプライドも多分あったのか、
メジャーの人たちと絡もうとしなかった。
すごくアングラ的だったんです


で、そこをぶっ壊したのは僕たちだと思うんですよね。
やるんだったらどうすればいいか?
会社作ろうとか、物件借りようとか、電話してみよう。
彼らのサポートをする前座をするには
どうすればいいか聞いてみよう。

そういうことを全部、1つ1つ全部やってきましたね

(難波章浩さん)

もうなんか「できる、できない」とかじゃなくて、
それが「やってみたいからとやってみよう!飛び込んでみよう!」みたいな。
勢いだけでしたね。

(横山健さん)
ぶっ壊せたのは結果論です

独立当時は誰かに教わった?その1

✅難波章浩さんコメント
(ハイスタ)メンバー3人とローディーだった子と
業界経験者がない人を一人
僕ら以外に3人くらい…

✅横山健さんコメント
一軒家を借りて、そこを事務所にしてました。

もう電話機とか選ぶのから間違えるんですよ。
普通のホームフォンみたいの買ってきちゃって。

「これダメだよ。ちゃんと業務用みたいのあるでしょ。
こうやってボタン押すと内線回せるの、
それを買ってこないと」って、返品したりとかね。

ツネちゃん(恒岡章さん)は…
運営的なとこと、金銭面的なところははケンくんが担当
僕がイベントやライブをやるよみたいな、わーいみたいな、
なんかそういうのやってたんだけど、

ツネちゃんはあんまりそこは関われなかったんですよ。
だけど、ツネちゃんは、デスクを作ってきたり、大工さん的な

(横山健さん)
結構シンプルな机を4つ作ってきたんですよ。
色を2色の色に分けてね。

それ27年経ってるけど、まだ使ってますね。

独立当時は誰かに教わった?その2

✅横山健さんコメント
メジャーで働いてた人に教わったり、
いろんな人に教わりましたよ

会社の作り方とか、運営の仕方とか、
ちょっとやっぱ家計簿的にやればいいのかなとか思ってたけど、
お金の扱い方って法人になると違うんですよ。

そういうこととかを勉強したりして、
これって経費に入っちゃうんだとか…

✅難波章浩さんコメント
ケンくんはめちゃめちゃ勉強してましたよ。
教わってるのもちろんなんでしょうけど、
すごく勉強してたんですよ。

で、当時僕は全然そういうこと勉強しないで、
出版がなんだとか、著作権でなかなんだとか、
ロイヤリティがなんだとかいうのは、
あんまりこう考えれなかったですね。

全然もう本当、考える能力が当時なかったんす。
で、そこをケンくんはいろんな人に聞きながら勉強してて
元々ね、その会社になる前からツアー回ると、
がま口の財布を持ってるんすよ。でっかい。

それがバンド貯金
そのがま口を持って、ツアー行って、
高速代とかガソリン代とか、

ケンくんがそのがま口を握っててくれたんだから、
そのままケンくんにケンくんならそういうの得意だなと
思ってやってもらっちゃったっていうのはありますね。
俺もツネも。

横山健さんコメント
でもね、肝があるんですよ。
例えばバンドって3人なら3人、5人なら5人いて、
それを手伝ってくれる人って絶対出てくるんですよ
バンドからも探すし…

で、そういう人たちに任せるのか、
メンバー自身がやるのかって大きな差だと思う
んですよ。

今でも僕、PIZZA OF DEATHレコードっていうレコード会社の社長
いるんですけど、辞めようと思ったことは何度もあるんですね。

もうこれ自分のやることじゃないよって…

でも、やっぱそこ手放さなくてよかったなと思いますね。
もう全然こう、なんていうかな、意思の反映のされ方とか、
会社自体のがなんであるのかとか、精神性が変わってくるんですよ。

意思決定も全部3人で話して、全部決めていた?

難波章浩さんコメント
そうですね
ツネちゃん、
何も考えてないんですけど
彼の意見は大切

絶対ツネちゃんに話し通さないと、
ことが進まないです

彼が納得しないと。

で、彼を納得するポイントを探すと、
結構いいところにたどりつく。

そこはやっぱり3人納得しないと進まないってのはあったっすね。

(横山健さん)
めんどくさかったですけど。
何でもそうだったよね


めんどくさかった(笑)。
だから、僕とナンチャン2人はこ
こういう方向でいいと思うんだけどっていうのに、
なんかの理由でツネちゃんに反対されて
軌道修正をせざるを得なかったこととか、
できなかったこととか。やっぱありますよね。

綾小路 翔(氣志團)さんコメント
僕、その最初の一軒家、
よく遊びに行ってた
んですよ。

全然(氣志團の)デビュー前ですけど。
僕たちお客さんがいるのかいないのかみたいな頃に
たまたまPIZZA OF DEATHのスタッフの方が
見に来てくれてて、


「遊びおいでよ」って言ってもらって
で行くと…

それこそさっきおっしゃってたような、
最初の頃のスタッフさんたちがいて、
みんな若いんですよ、
みんな20代前半から20代後半ぐらいの。

もう夢のような…
こんなふうにやってるんだ!!ってのは
やっぱ目の前で見て、

僕たちとちょっとしか歳が変わらない先輩、
お兄さん、お姉さんたちがそこで電話を受けて、
いろんな人たちの発注を受けたりとか、
ツアーのブッキングをしてたりとか、
もうめちゃくちゃかっこよかったです


これが俺たちの目指すところだ!って、
思ってました。

英語にこだわって歌う理由は?

🎵「CLOSE TO ME」Hi-STANDARD

マキシマムザホルモン ダイスケはんさんコメント
ご本人たちが意図しているのかどうか定かではないのですが、
ハイスタの歌詞はすごくシンプルかつ当たりやすい
英文が多い印象です。


それに加えて、
耳馴染みの良いキャッチーなメロディーも相まって、
英詞とはいえすごく覚えやすいんです。


さらに、歌詞カードの和訳を読むと、
シンプルな文章だけど、そういう風に訳すんだ」と
英語の勉強にもなります。

なので、毎回歌詞カードを読むのも楽しみの1つです。

✅難波章浩さんコメント
英語ネイティブもでもなかったし、
英語なんか全然話せなかったです。

(横山健さん)
英語話せないのに英語で歌ってるんですよ(笑)

(難波章浩さん)
そうなんすよ、それなんでだ?
ってよく思われるし、聞かれるんですよ。

でも、
英語話せない人が海外でもこれだけやれるぜって。
これだけのことができるんじゃん!みたいな。

片言のそのカタカナ英語
もうむき出しのそのままも気持ちで込めて、
発音下手でも思い切り行って、
なんかあれだけの活動できるんだ
って
思ってもらいたいなっていうのはすごいあったんですよ。

やっぱ英語で歌って、
「STAY GOLD」「DEAR MY FRIEND」っていう
キーワードだけでも、
せめて聴こえる世界に行きたかった

それが「輝いてね」って言ったら、
やっぱアメリカの人にはね、聴こえないわけで。

英語で歌うことは変えなかったですね。

なぜハイスタは洋楽の後追いではなかった?

✅横山健さんコメント
結構みんなね、(海外のバンドも)
音楽のバックグラウンドが似てた
んですよ。

元々は、若い時、子供の時にポップスを聞いて衝撃を受けて
で、そっからハードな音楽が好きになってって。
で、楽器を覚えてパンクのアティチュード(心構え)に出会って
それを全部いろんなものを、ポップスのきらびやかさだったり、
メタルのエッジだったりを、パンクのアティチュードで
包むようになる
んですね。

だから僕はね、すごく必然に思ってましたね。
みんな一緒じゃんって僕らと

✅難波章浩さんコメント
確かに聴いてる音楽、育ってる感覚が
同じな感じしました


80'sポップスとかど真ん中ですか。
ベストヒットusaとかFMでチェックしたりして、
その時代でやっぱり日本の…なんていうのかな、

Jポップと当時なんて言ったかなね、
当時はね、なんだっけ…

(横山さん&難波さん)
ニューミュージック!!

(横山健さん)
すごい影響受けたし、アイドル…
小学校2年生ぐらいのピンクレディーもあるか…

当時さ、そのピンクレディーの楽曲とかさ、
意外と音楽的に豊かだったりして、かっちょいんすよ


あと、山口百恵さんの楽曲だったりとか、
当時のフォークソング
だったりとかね。

僕たちが知らないような
海外のアーティストを彼らは知ってて、
古い70年代、80年代のそういったものをちゃんと
自分の音楽のエッセンスとして取り入れてる
んですよ。

例えば、自分のやってる音楽がこういったものだから
この影響を排除しなきゃいけないとか、
そういう態度1つもなくて、全部をまるっと自分にとっての
パンクロックっていうアテチュードで包む
っていうのが、

もうなぜかそれはもう世界で同時多発で起こったんですけど、
繰り返しになっちゃいますけど、必然に思いましたね。

(スタッフさん)
アメリカのパンクバンドに憧れて
それだけでやってたってわけじゃないかったから、
こう、結局新しいものができたのですかね?


(横山健さん)
そうなんですよね。
憧れるとやっぱ2年遅れますよ。
それぞれがちゃんと自分の音楽の文脈を持ってて、
で、それをなんかぶつけ合ってたんです
よね。

Tシャツ・短パンでライブに出た理由は?

✅レベル・ミュージック
体制や抑圧など社会権力に抵抗する音楽

✅綾小路 翔(氣志團)さんコメント
僕らにとっては、ステージに上がるってのは、
やっぱ戦闘服に身を包むみたいな、
それまでも、やっぱりそのヤンキー文化も、
暴走族文化もパンクロックもみんな一緒で、
言ったらちょっとレベルミュージックっていう、
不良たちが音楽をやるみたいな。


そうすると、みんな必ずステージにはビシッと
決めていくっていうのが当たり前だったし、
それに憧れてきたのに…


普段着のまんま、
楽屋からそのままステージに上がった人たち、
僕は初めて見た。


マジで近所の、
なんかちょっとギターうまい兄ちゃんぐらいの
感じですが…

この人たちに
もしかしたら、こうなれるかもしれないという勘違い
させてもらえました。

🎵「NOTHING」Hi-STANDARD

✅横山健さんコメント
最初はね、
短パンこそ履いてなかったものも、
古着バンドだったしね。

パンクロックを鳴らすのに、
こういう格好しなきゃいけないっていう観念が
そういった先入観があったけど、
別にしなくていいんじゃないって思ってましたね

なぜか

(難波章浩さん)
ま、言われましたけどね。
短パンでパンクっていいの?みたいな(笑)


(横山健さん)
今じゃ信じらんないですけど、
今僕らがステージで着てるような格好で
ライブやるんのは異端だった
んですよ。

(難波章浩さん)
アメリカのパンクバンドみんなそうだったもんね
普通に…

ストリートカルチャーとの関係

✅スケボー誌やファッション誌にも登場

🎵「JUST ROCK」Hi-STANDARD

✅横山健さんコメント
なぜか不思議と集まったよね
うん、気が付いたらね、
あの当時、日本でもプロスノーボーダーって
呼ばれる人たちが出てきて。

多分、スノーボード関連のブランドから
サポートを受けて、プロを名乗って
暮らし始めた人たちなんですけど、
その人たちとなぜか気が付いたら仲良くなってるんですよ。

✅難波章浩さんコメント
Fineやwarpっていう雑誌だったりとか、
そういうカルチャー誌があって、
そこに我々もとね、取り扱ってくれるなど

そこで結構また、付き合わせてくれたってあるかもしれない。

あと、当時、やっぱりね、SNSがなかったんで、
その情報、自分たちのその音楽を発掘するっていうか、
やっぱりその方法がもう全然違ったん
です。

そん中にスケーターのビデオとかスノーボードのビデオに
音楽が使われてる
と、
めちゃめちゃ「使われたあの曲なんなんだ?」みたいな。
Hi-STANDARDはなんだこれアメリカのバンドか?」みたいな。
そっからすげえ増えてったってのはあります。

(スタッフさん)
それはもうバンド側から使ってくださいじゃなくて、
もう勝手に使われていたんですか?


(難波章浩さん)
そうですね、
ビデオを作る人たちがもう勝手に使っていた

(横山健さん)

びっくりしましたよ。
すごいアメリカで大手の老舗が
(ハイスタの曲を)スケートビデオで使われてて、
びっくりして買いましたもんね
(笑)
いい使われ方してるって…

(難波章浩さん)
普通ならね、
「なんで勝手に!!」ともなるんですけど、
なんか、「いいね!!かっこいいね!!」みたいな
(笑)

地上波のテレビ番組には出演しなかったのはなぜ?

✅ナレーション
どんなにバンドの名前が広まっても、
Hi-STANDARDは地上波テレビ番組などの
メディアには出演しなかった

✅横山健さんコメント
今振り返ってみると、
ものすごく大きいカルチャーを作ったじゃないですか
なんだけど…

当時はその当事者としては
そこまでではなかったんですね。
ただ、自負はありましたよ。
やっぱ今までにないものの輪の中にいるっていう。

それをね、
歪んで、上澄みだけすくって使われるのが嫌だったんですよね。

で、若かったから、そういった事に対する抵抗とか、
疑いとかはすごくあった
んで、
使われたことないのに、どうせ上澄みすくうんだろ
みたいな思いしかなかったわけですよ。

(難波章浩さん)
「売られる」のが嫌だった。
「自分らで行くんだ!」みたいな


(横山健さん)

例えばね、
今だったらCMに音楽使ってほしいなと思うけど、
前はCMは、まだバンド出たばっかだったんだので、
「何々のCMで話題のハイスタンダード」とか
って言われるのは嫌だ
と言って断ったことありますね

あれやってたら、結構いいお金になってたよ(笑)

でも実際そうだったんですよ。すごい本当に。
当時はそんな感じで言われて、
わー!やべえ!(嬉しい気持ち)とかだったんだけど、
「やっぱやめちゃおっか」って…(笑)

✅SUPEREIGHT安田さんコメント
今ってSNSがあるからすごい便利じゃないですか。

すぐ情報仕入れたりとか、関わることとか、
DMとかであったりすると思うんですけど、

なんかその選択肢がなかったから行動するっていう
すぐにたどり着いたことが、
多分彼らの基盤になってるっていうのがすごく伝わる
映像やなと思って…

それは令和8年でも全然同じことができるんやなっていうのが、
なんかいいなと思いました。
熱量が…

SNSで出すでなくて、
会いに行く!って考えたら、会いに行く
という方がより最短距離なのかもしれんなと思いました。

Hi-STANDARD特集_Fat Wreck Chords(ファット・レック・コーズ)

✅Fat Wreck Chords(ファット・レック・コーズ)
1990年 NOFXのファット・マイクがサンフランシスコで
設立したパンクロック界の名門インディーズ・レーベル

✅ナレーション
1stミニアルバムを既存のインディーズ会社から
リリースしたハイスタンダードだったが、
その後国内ではメジャーレーベルと契約。

1995年にアルバム「GROWING UP」をリリースし、
同時に海外ではFat Wreck Chordsとも契約。
全世界でリリースされ、アメリカではチャートインを果たした
その全てのきっかけとなったのが、
来日したNOFXの元へCDを持って直撃したこと

横山健さんコメント
当時ね、何にも知らなかったですもん、僕ら

で、海外の新しいタイプのパンクバンドが徐々に
日本に入ってきた


海外からすごく好きなバンドが来日する。
その頃、日本のバンドがいくつかそのサポートをして、
洋楽ファンの間で人気になったりしたんですね。

僕らもそうなりたいぞ!と、
じゃあどうすればいいんだ?
それを出してるレコード会社に電話してみよう!

電話ですよ、まず。
メールもなかったですから


すると
「いや、君たち、CD出してるのはうちだけれども、
ライブというのはうちがやってるわけじゃなくて、
イベンターさんというものがやってるんだ。
そっちに電話してみてくれ」って…

そこで
イベンターさんの存在を初めて知るわけです
イベンターってあるんだ!?って…

で、イベンターさんに電話して、
●●って海外のバンドが来日しますよね。
サポート前座やりたいんですけど…
」と…

なんかもうそんな手探りでした。
何にも知らなかったです。
ただ、思いついた事をとりあえずどうしよう?つって
やってみるか!!というガッツは
僕らにはあったんですよね。なぜか…
(笑)

✅スタッフさん質問
思いついた中の一つがファット・レックに?

(難波章浩さん)
そうですね。

そっから結構ハイスタンダードっていうバンドやべえよ!!
みたいなって言って。

で、そこにもう色んなバンドでオープニングするんですよ。
それこそThe Offspringやったし。WEEZERやったし、
結構もう来日するアーティストのオープニングはほぼほぼ
僕らやる時があって一時期…

(横山健さん)
多分Green Dayもそうですね

イベンターさんの中で
こいつら前座につけられるな、
洋楽ファンに多分受け入れてもらえるな
」ってのを
イベンターさんの中でも少し浸透したんでしょうね。

なんかそういうものの果てに
Green Dayの初来日のサポートとかはあったような気がします。

Hi-STANDARD特集_Vans Warped Tour 1998

Vans Warped Tour 1998

✅Vans Warped Tour 1998
パンクロックのサマーキャンプ

✅ナレーション
多くのバンドマンたちがすごいと語るのが、
ハイスタが1998年に参加したVans Warped Tour1998
パンクロックのサマーキャンプと言われる一大音楽フェスで、
毎年夏にアメリカ各地を巡回するサーキットツアー。
これまでパンクハードコアの人気バンドのほか
エミネムやケイティ・ペリーらも参加してきた。

🎵「CATCH A WAVE」Hi-STANDARD

Vans Warped Tour に参加したきっかけは?

✅横山健さんコメント
その年、ちょうどNOFXのも参加してたんで、
「お前らも出るか?」と。
「出る出る!」と


いや、興奮しましたよ、決まった時は…

まだ始まって3年とか4年とかの頃じゃないかな。

すごいですよ。
アメリカのハイウェイ走ってると、
僕たちもレンタカー借りて、それで移動するんですけど、
ステージが一緒に走ってくんですよ
次の街に向かうんです。

✅難波章浩さんコメント
僕ら小さなパンなんですけど、
ヘッドライナーのNOFXとかランシドたちは
もうでっかいバス、キャンピングカーすごいやつ


たまにそのバスのに呼んでくれて
キャッキャとか言って、
そこに入るのも楽しみでしたね

Hi-STANDARD特集_鹿野淳さんが挙げる ハイスタのスゴいポイント

革命と発明

✅360度インディーズで100万枚を超えたという革命性

アーティストフェスを初めて手掛けたという発明性

Green Dayの前座

✅鹿野淳さんコメント
グリーンデイの前座の時って、
東京オリンピックの選手村だったマンション
ところにあったただの倉庫であった。

そういうところじゃないと
1万人近くの人が入ってやる
オールスタンディングは多分できないので…

また、当時の日本の前座って、
みんなピールビンとか投げられてたんですよ。
「引っ込め!お前ら見に来たんじゃねえんだ!」と。

だけど、
その時にみんな全力120%なんですよ、
ハイスタンダードのこと。

あれは僕あの現場にいたんですけど、
幻を見たようなとんでもないが本当に起きているんだ
と思いました。

逆輸入

✅鹿野淳さんコメント
ハイスタが出てくる前、
何年か前に渋谷系というムーブメントがあって、

その前まで洋楽のロックと日本のロックって
5年ぐらいの時差があった
ものなんですけど、

この渋谷系っていうものが出てきて、
UKのバンドとかのレコードを渋谷の中古レコード屋とかの
バイヤーがもう頑張って毎週買いに行って、
毎週新しいの入れて
、そこにみんなキッズが行って、

その人たちが渋谷系のアーティストとしてデビューして、
それも何十万のシーンを作っていくみたいなことがあって、
これで時差が1年ぐらいに変わってたんです。

で、そこから今度はロディックパンクのHi-STANDARDが
もう現地(アメリカ
に行っちゃうわけですよ、

で、現地に行って、
完全にあっち側の血と肉になった人たちが
日本にこうやって逆輸入していって、
それで日本の中でやがていろんなものを巻き込んだ
ムーブメントになっていくんです

ファッション

✅鹿野淳さんコメント
当時ね、ストリートっていうところが、
あらゆる意味でキーになっていったんですよ、

それが音楽的には原宿
そしてファッション的には裏原っていう、
そういうシーンみたいなものができていって、
そこで全部シンクロしていくわけですよ。

Hi-STANDARDはTシャツと短パンを着るんですけど、
これがファッションになっていくんですね。

要するに、これ自体、
ロックシーンとしてはニューウェーブです


同時に、
Hi-STANDARDと一緒につるんでた人たちが
洋服屋をやる
わけですよ。

そこで発生するわけですね。
それこそBACK DROP BOMBっていう仲間のバンドがEMPIRE
あと、ヒップホップのSHAKKAZOMBIEっていう人たちが
SWAGGER
あったりとか。

あと、それこそ今俳優として大活躍している井浦新さん
彼がREVOLVERっていうブランドを立ち上げて、
ブラフマンのTOSHI-LOWとかと交流を果たしてって、

そのファッションシーンっていうものも
進化させていく
んですね。

だから、ファッション誌の当時の表紙、
1番売れたのはほとんどミュージシャンの表紙。

ハイスタンダードとか、あとブラックマンとか、
あとドラゴンアッシュとか、あとLOW IQ 01
とか。

でも、これも突き詰めていくと、
結局はスタートはHi-STANDARD
という

EMPIRE
BACK DROP BOMBのボーカル
白川貴善がスタートしたブランド

SWAGGER
ヒップホップグループSHAKKAXOMBIEのMC2人が
手掛けたブランド。
カニエ・ウェストらも愛用し、世界で人気に。

✅REVOLVER
俳優 井浦新(当時ARATA)が原宿で1998年にスタートしたブランド。
井浦の友人BRAHMANのボーカルTOSHI-LOWも関わっていた。

綾小路 翔(氣志團)さんコメント
地方にも波及していって、
そのハイスタが好きだった人たちとかが、
その自分の地元でお店を立ち上げて


で、その先輩たちのまたブランドを仕入れて、
そこでガンガンに音楽をバンバン流すと。

当時の中高生ですよ、その店に来て、
「これ誰ですか?」と言って、聞いて回っていくっていう。

いろんなとこにハイスタが生んだものがどんどん波及して、
地方にそういう、なんかホットステーションが
いっぱいでき
て、みんなそこで覚えて、
「本物に会いに行こう!」ってなった頃に
このAIR JAM’97が起きたり
とかして…

Hi-STANDARD特集_矢沢永吉さんコメント

矢沢永吉さんコメント(PIZZA OF DEATHレコード設立について)2019.8.25 O.A.
レコード会社から出すんじゃなくて、
自分たちでアルバムを作る

インディーズですよね。あれを作った人でしょ。
先駆者ですよ!!

次回予告

【次回予告】
🎵2026年4月19日(日) よる11時15分~
「Hi-STANDARD特集(後編)

■アーティストゲスト
MAH(SiM)、綾小路 翔(氣志團)、鹿野淳

■トークゲスト


ファーストサマーウイカ、高橋茂雄(サバンナ)

終わりに


Hi-STANDARD特集
ありがとうございます!

ハイスタ!大好き!
ボリュームがすごい!
あらためてハイスタの素晴らしさを実感しました。

一言で表すなら、まさに「革命家」ですね。

「PIZZA OF DEATH」の事は知っていましたが、
会社立ち上げの経緯や詳細など知らなかったので、
とても新鮮でした。

目標に向かって迷わず実行するお三方の行動力・実行力に、
心から感動です。
というか、素直に勇気、元気をもらいました。

やってみよう!」この言葉が何度も出てきて、
そして、様々な困難があり、それを乗り越えていく…
なんか映画のよう…

ほんととても素晴らしい放送をありがとうございます。
(後半も楽しみです)



【印象に残った言葉など】
・LONDON NITE
・今日唯一の皆さんにとってのマウントです(笑)
・”日本のパンクロックが認められた!!”
・とてつもないセールスをたたき出してチャートを席巻する
・出たかった
・人間って変わる
・自分たちでも振り返るいいきっかけ
・モノがないレコ発を2回ぐらい
・「PIZZA OF DEATH RECORDS」
・「大人たち」
・自分たちでやってみよう!!
・「NOFXが来日する!よし、会いに行こう!」
・「日本ツアーやるから1本やってみろ」
・チューニングメーター
・”彼らの仲間になってみたい”
・道端で缶コーヒー片手にミーティング
・それを実行したっていうだけ
・「やってみる!!」
・Fat Wreck Chords
・アングラ的なものはみんなインディーズ?
・インディーズのプライド
・ぶっ壊したのは僕たちだと思う
・「やってみたいからとやってみよう!飛び込んでみよう!」
・勢い
・デスクを作ってきた、大工さん
・それ27年経ってるけど、まだ使ってますね。
・お金の扱い方は法人になると違う
・がま口の財布
・バンド貯金
・辞めようと思ったことは何度もある
・そこを手放さなくてよかった
・精神性が変わってくる
・何も考えてないんですけど、彼の意見は大切
・これが俺たちの目指すところだ!
・「シンプルな文章だけど、そういう風に訳すんだ」
・英語話せない人が海外でもこれだけやれるぜ
・聴こえる世界に行きたかった
・パンクのアティチュード包む
・聴いてる音楽、育ってる感覚が同じ
・ニューミュージック!!
・必然に思いました
・憧れるとやっぱ2年遅れます
・古着バンド
・プロスノーボーダー
・「使われたあの曲なんなんだ?」
・びっくりして買いましたもんね(笑)
・今までにないものの輪の中にいる
・歪んで、上澄みだけすくって使われるのが嫌だった
・「売られる」のが嫌だった。
・「自分らで行くんだ!」
・「何々のCMで話題のHi-STANDARD」
・Vans Warped Tour
・「引っ込め!お前ら見に来たんじゃねえんだ!」
・幻を見たようなとんでもない事が本当に起きているんだ
・渋谷系
・逆輸入
・結局はスタートはHi-STANDARDという…
・REVOLVER
・ホットステーション
・先駆者ですよ!by矢沢永吉


■道端で缶コーヒー片手にミーティング
「ここでこうしながらさ、
世界出てきちゃったらすごいよね」なんて
夢物語で20歳そこそこの若者3人が話してて…
それを実行したっていうだけなんですよ。


→ なんか青春です。
そして、それが実現する。
もうかっこよすぎます!!
(自分も3ピースバンドをやっていたので
スタジオ後の話し合いなどなんか色々思い出して
なんか浸ってしまいました。
それにしても実現するのはほんとすごい!
心からかっこいいと思います。)



■ツネちゃん、デスクを作ってきた、大工さん

「結構シンプルな机を4つ作ってきたんですよ。
色を2色の色に分けてね。
それ27年経ってるけど、まだ使ってますね。


→はい、号泣です。
27年間、使用されている机。
天国の恒岡さんも
きっと喜んでくださっていることでしょう。
形として残るって、本当に素敵なことですね。
大切なエピソードをありがとうございます。




■英語詞
「片言のそのカタカナ英語、
もうむき出しのそのままも気持ちで込めて、
発音下手でも思い切り行って、
なんかあれだけの活動できるんだって
思ってもらいたいなっていうのはすごいあったんですよ」
聴こえる世界に行きたかった


→ かっこよすぎます!
ほんと当時の日本の音楽の常識を全部
ぶっ壊した感じで革命すぎます。

あと
パンクのアティチュードで包む」という
表現、言語化がとてもしっくりきました。

もうパンク最高です!!!
ハイスタ最高です!!!
ありがとうございます!!!
(後半も楽しみにしてます!☺)



「EIGHT-JAM(エイトジャム)」さん、
いつも素敵なゲスト、素敵なテーマ、楽しい番組、誠にありがとうございます!!



-EIGHT-JAM(関ジャム)